2012/02/04

Week 5: Spring Fever



ジンスタの友だち(チーム・偶然のELLEちゃん)が私の住む駅でお仕事があってそのあとに散歩してお茶を飲みながら「切実な感じのあるジンていい、読みたい」というおしゃべりをした今週、それからまた寒空の下を長時間うろつくことが何度かあったのがいけなかったのか、(あと自分が作った料理で胃がおかしくなったのもある)熱を出して1日ずっと寝てるはめになった。今日はやっと調子がよくなったけどまだ寒気はするので毛布を頭からかぶり、節分でまききれず食べきれもしなかった豆をすり鉢でごりごりときな粉にしてる。魔女っぽいルックスの普通の病み上がりの人。








『スプリング・フィーバー』(2009)
 ロウ・イエ


女の子がひとりでカラオケを歌っているシーンでものすごく泣いた。

2012/01/28

Week 4: To the Lighthouse



「ティーンエイジの女の子のためのウェブサイト」Rookieを、ときどき見る。 90年代的な美学がかなり意識されてるように思うし、心のこもったかわいいことや若者らしい素直さが詰まっていそうな気もする、読者参加型コーナーがいろいろありそうなのもいいんだけれど、毎日更新される記事を熱心に追いたいほどには私はティーンでもない。それに気づいてみれば、まさにティーンだった90年代半ばにだって、ここに出てくるようなティーンではなかった。こんなやわらかそうでなく、ハードボイルドでダサかった。そうか、あれは90年代じゃなかった、そういえば中世だった。『15歳は、本当の〈中世〉で・・・何も確かでなく、何も安全なものがなく、何もやってこないし、何も去っていかない』(ガートルード・スタイン Wars I Have Seen)つまり個人的にはおおかた今も中世ですね。  


 それはさておき、そうやってまた先週もRookieをあてずっぽうで眺めていると「私たちお気に入りの大人に高校生活を生き抜くためのアドバイスを聞いてみました」というコーナーがあった。その中のひとりに元le tigreで現MEN(など)のJDサムソンが選ばれていて、JDは"Keep on Livin'"の歌詞をそのまま書いておくよ、と言っている。これは2001年にクロゼットの中で悩むキッズたちに向けて書いたメッセージであり、自分は小さな町を出て初めてその外の世界にはもっともっといろいろなことがあると知ることができた、とも。この歌詞が久しぶりにそしてあまりにふいうちに目に飛び込んできた。今が何年代で自分は何歳とかは関係なくなり、いつも今だからこそと思うその気持ちで今だからこそ、私の気持ちはまた奮い立たせられる。(本当は曲のビデオを貼りたいのだけど、すごく荒いのしかないの)


 Look up to the sky sky sky  空を見上げて ほら この空
Take back your own tonight 君のを取り戻せ 今夜こそ

You’ll find more than you see 見えてるものがすべてじゃない
It’s time now now get ready さあ 時は来た 心を決めるんだ
So you can taste that sweet sweet cake and そして味わって あの甘い甘いケーキ
Feel the warm water in a lake 湖のあたたかさを感じて
What about the nice cool breeze and それに 心地よく吹き抜ける風も
Hear the buzzing of the bumblebees ミツバチの羽音も聞こえる
Live past those neighborhood lives and あの町でのことを 乗り越えるんだ
Go past that yard outside and  あの前庭を通り過ぎて
Push thru their greatest fears and 彼らに恐怖をつきつけて
Live past your memories’ tears cuz  記憶の中の涙を乗り越えて 
You don’t need to scratch inside just please もう自分の内側をひっかく必要は無い だから どうか
Hold on to your pride  誇りを捨てないで
So don’t let them bring you down and さもなきゃ また 引きずり降ろされる
Don’t let them fuck you around cuz やけくそになるな  それじゃやつらの思いのまま
Those are your arms that is your heart and だって その腕も 心も 君自身のもの
No no they can’t tear you apart cuz やつらには引きちぎれない なぜって
This is your time this is your life and これは君のチャンス 君の人生を生きろ
This is your time this is your life.         いまが君のとき 君の人生を生きて
Keep on, keep on livin'      生きて! 生き続けて


自分がジン(Carson zine)を作るのは、この曲に含まれるメッセージと大きく重なるはずの何かを言いたいためなのだと思っている、私のような人に向かって。自分はおかしい、価値がない、あるいは厄介者、だから馬鹿にされたり、うとまれても仕方がないと思い、思わされることはたくさんある。ある面では自信に満ちて幸せにあふれている人にだってそういう面はいくらでもありうるし、ちょっとニュースを見れば、私たちのうち99%は馬鹿にされてだまされてる、と思うことばかりだ。それでも、死んだ魂をひきずって過ごす意外の道を探るということもできるはず、たぶんね。そのための勇気や心構えやふるまい方を教えくれるようなものについて、自分なりに書いているつもり。
 

 それはそれとして、JDの最近の活躍をあんまり追っていなかったのでちょっと探してみたら、ちょうど一年ほど前に出た曲のこういうビデオがありました↓ 初めて見る方は最初から最後までとばさず見ることをおすすめします。



 

「あの前庭を通り過ぎ、あの町を飛び出して」どこへと思えば、灯台へ。ずいぶん立派なペニスつけることにしたんだね、 あ、灯台か。この曲のタイトルは直訳すると「こんなに自由を感じるなんて、僕/私ったらいったい何様?」という意味だと思う。「こんなに自由なら死んでもいい 自由すぎてもう死にそう」「こんなに自由、絶対死ねない!」コーラスのような部分で繰り返されるのは、そういう言葉。











To the Lighthouse (1927)
ヴァージニア・ウルフ

2012/01/21

Week 3: Correspondence



「20歳になるまで、私の人生は手紙だった」

トビ・ヴェイルはそう言ったと、1992年に書かれたライオットガールについての記事には残されている。 私はいつもその意味を理解してると思っていた。つまり、手紙(またはジン)の中にこそ本当の自分の気持ちがつまってるっていうことでしょ、と。はっきり想定される相手(手紙の受け取り手、ジンの場合はあなた)、その人に伝えたいがために必死で書く文章の中に、そしてそれをキャッチしてくれた相手のつづる言葉の中にこそ、私は生きているのだと。もちろんそれはほんと、だけど皆さん。それだけじゃないの。今の私の生活で、郵便による手紙のやり取りはますます実質的に重要な位置を占めている。典型的な1日の中で1番気持ちが高揚し緊張するのは、郵便箱をのぞくとき。手書きの文字に目を走らせるとき。書いた手紙をポストに入れるとき。それが無ければ昼間はただぼんやりと不安に包まれて過ぎていってしまうのかもしれない。(あるいは、もっと外に出て、もっと新しいつながりを求めて居場所を探すとか自分が役に立てることを探すとかなんとかするのかもしれないけど!)

 昨年の12月にせっせとカードを書いたので、そのお返事のように学生時代以来あまりもらったことなかった年賀状がいろいろ届いた。昨日(1月20日)になっても1通。
そう言えば、毎年クリスマスカードを見つけてた「百年」て古本屋さん(ヴィンテージのヘンテコなカードを買ってコラージュする、変で素敵なのたくさんある)のブログに『ヴァレンシア・ストリート』のことが書かれていたのをだいぶたってから見つけた。ありがとうございます。

 私もスタッフをしているお手紙プロジェクトを通して、被災地の方たちからいただいたお返事は特別だ。例えばテレビで見たり、少しだけお邪魔した仮設住宅での暮らしについて同年代の女性が教えてくれる。想像の及んでいなかった日常の細かい不便さや嬉しかったことを聞く。少しでも読むのが楽しい返事が書きたくて(そうじゃないとむしろ厄介だろうなと思ったりする)、おもしろい手紙とは?と考えながら書き、確信のないままなんとか送る。やりとりを重ねていくうちに相手のことをもっと知って、好きな感じなどがさらにわかり、もっと「その人に向けて」書くことができるようになるかもしれない。 

 いつもうまくいい表現を選べなくて、いっぱい言葉を重ねてたたみかけてしまう。だから数行に端的に現れたメッセージとかぐっとくるのだけど、たくさんたくさん書いてあるのに行間からしか読みとれない何かがある手紙もとっても魅力的。スパイシーなチョコレートと一緒に送られてきた大きなカードには、見るだけでわくわくするあのレボリューション・スタイルの手書き文字(前にこのブログにも登場したよ)で新しい場所と家族についてがびっしりと書かれていた。便せん何枚にもわたる小学生みたいな絵つき(なんか『あしながおじさん』の手紙みたいな)の日常レポートとか、すっごい上手なドラゴンの切り絵が貼ってある年賀状とか、それになみちゃんの年賀コミック(最高に汚いけど下品じゃない!なんでだ? 愛しい)も、郵便で受け取るといっそう嬉しいのです。

ポストカードに書かれた手紙とおネギの種とありんこのアップリケとローザ・パークスのステッカーが入っていたよ

 そういやそうそう、FacebookでRiot Grrrl Penpalsというグループに入っているんだけど、もう入っていることを忘れるくらい長いこと動きが少なかったのが、先々週くらい突如として何かがはじけた。ひと晩のうちにメールの未読メッセージが40通くらいたまっていて何事かと思えば、そのほとんどが誰かがこのグループの掲示板(ていうのかな)に新しい投稿をしたというお知らせ。世界中のいろいろな年齢、ていっても10代から40歳くらいと、いろいろというよりはやっぱり少し偏ってるけど、の人種のGrrrlsが手紙やジンやギフトを送り合う文通相手を求めてメッセージをやりとりしている。『ガール・ジン』的な、「フェミニズムする」ギフトカルチャーてやつですね。そう、みんなフェイスブックやってるしメールで自分のこと書いたり意見を交換するほうが当然早いのですけど、「物」を送り合うというのが重要なのよね。孤立していたり、思うことを表現できずにいたりする日常の中、その場所に飛び込んでくるっていうか、実際にやってきて存在する物の重さ、というのがあるものね。

この向かって右のは、昨年の大晦日にすべり込みの速達で送られてきた、パーソナライズド・ジン。「パーソナル・ジン」ではなくて、すなわち私個人へのジン。誕生日にカセットテープにラジオ番組を吹き込んでくれたふたりの友だちへのお礼にジンを作ったのだけど(それが左のやつ)、そのお返事ジンが届いたというわけです。映画や本の話とともに会ってもあまり言えないお互いのいいところなどを書く。なんか手紙よりさらに照れずに堂々と書けるような気がする。










"Correspondence"(1942)
 カーソン・マッカラーズ
大きな期待、激しい落胆、そして恨みと寂しさによって燃え上がる怒り。
そんなある種のマッカラーズっぽさがぎゅっと凝縮された書簡体短編(少女の手紙4通分の長さ)。
こちらの本に翻訳『文通』収録。 なんか高額になってるけど、けっこう公立図書館にあると思う。