2010/03/14

夜の森ガール


去年くらいから森ガールって言葉をよく見聞きしてきた、そしてむらガ~ル(森ガールに群がるのよ)的なものも。この言葉(むらじゃなく森のほう)を初めて聞いた頃、私のチームメイトのミャーザキくんが「森ガールってヴェロニク・ブランキーノとか着てる人かな」と言うので、何で?と思っていたが『A MAGAZINE curated by VERONIQUE BRANQUINHO』のファッションページを見て、合点がいった。
↓のパラパラ映像の40秒くらいから1分6秒くらいまで。

そう、やっぱり森ってところは木がうっそうと茂って昼なお暗き場所って感じ。
そして夜の森ともなれば普通の女の子が魔女になって出てくる場所だというイメージがあるのは、アーサー・ミラーの『るつぼ』やなんかが連想されるから。マサチューセッツ州セイラムの魔女裁判を(それを通したマッカーシズム批判を)テーマにした戯曲だけれど、久しぶりに読んだらなんかハラハラして背筋にゾクゾク来ちゃった。たぶん、初めて読んだときより今のほうが魔女っぽい人、魔女狩りっぽい事柄になじみがあるからかもしれないね。しかし、「森の中で黒人奴隷ティテュバと少女たちが裸で踊る」(悪魔を呼んでいる)シーンがあったはずと思ったのは私の勘違いで、それを見てしまった牧師さんから話が始まってた。

『るつぼ』の映画化『クルーシブルー』のスチルとポスター、森のガールたちフィチャーされてんね。ちなみにマサチューセッツ州チェルシー出身の元ゴス(高校時代)、ミシェル・ティーのメモワールによれば、ゴスっ子の中でセイラム出身というのは当然かなりのステイタスらしい。

でもやっぱり「森、女たち」と言えば私にはこれを置いてないってもんである。
      デューナ・バーンズ『夜の森』

実際にはタイトル(邦題)に入っているけれど特に森の話じゃない、でも触ることさえできそうな濃い闇の中でうごめく魂の話ではあるの。読んでいて思わずうっとり見えないものを見つめたり、ううっとうなってしまう箇所は数え切れない、いまパラパラめくっていて思わず胸がつかえて咳き込んだのはここだ↓


以前きみは誰も愛したことはなかった、これから先も二度と誰も愛さないだろう、ロビンを愛しているようには。大いに結構-ところで、少年にせよ少女にせよ、倒錯者に寄せるわたしたちのこの愛は、どういうものだろう? わたしたちが昔読んだどの物語でも、語られていたのは、そういう少年や少女のことだった。迷い子になった女の子、その少女は見出された《王子さま》でなくて、なんだろう? いつもわたしたちが探し求めてきた白馬にまたがった《王子さま》だ。そして少女であるこのきれいな少年は、手編みレースで身を飾った王子=王女でなくて、なんだろう-互いに自分であって半ば相手でもある、扇の絵みたいに! だからこそ、わたしたちは彼らを愛するんだ。幼少の頃、なによりも甘美な嘘、子どもの読本のなかを馬で疾駆する彼らを見て、わたしたちは彼らの上に串刺しにされて重なってしまったのだ、そしていま、彼らは少年や少女の姿になって生きている、少女のなかにいるのはかの王子だ、少年のなかにいるのは王子を王子たらしめる-けっして大人の男なんかにしない、あの少女だ。彼らはわたしたちの遠く遥かに失われた世界につながっている、そこではわたしたちがついに得られなかったものが、いまなおじっと待っている。

余談ですがデューナ・バーンズにまつわる私の好きな事柄ふたつ
①カーソン・マッカラーズはバーンズに一目会いたいとグリニッジ・ヴィレッジの彼女のアパートの階段前にキャンプを張った
②コペンハーゲン出身でいまや世界中で人気者のダイクDJは、その名もDJデューナ・バーンズ
この真ん中の人↓おいなんだ、かっこよすぎる。できればこういうガールが流行って欲しいぜ。

さて最後に再びミャーザキ君は「森ガールってスリーターキニーのことか」とも言っていた。彼女たちの最後のアルバムのタイトルはその名も『Woods』だし、シングルカットされた「Entertain」という曲のPVはまさに昼なのに暗い森の中だ↓

もし薄暗い森の奥深くから地響きのようにこんな音楽が聞こえてきたら、
「Don't let me down, I'm not falling down」というすさまじい祈りのような歌声が響いてきたら、
私はそこに自ら迷い込んで、ものすごいことになって出てくるよ。でもいまはまだ出口が見えない。

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