2010/03/16

気のいい女ともだち



マーガレット・ドラブル『碾臼』(小野寺健訳)

思いもよらず妊娠して未婚の母になることを決めた主人公のロザマンドは、エリザベス朝の詩人についての論文を書いてる学者のたまご。理屈っぽいのか正直なのかよくわからないことを言ったりするのが妙に私やあなたのようですね。例えば、子どもを産んだ後の変化について語っている箇所↓
いかにも誤解されそうだけど、あの女性特有の不条理な考え方を抱くようになったのだと思われては困る。おしめを買うことばかり考えて、わがエリザベス朝詩人たちの意味が色褪せはじめたわけではなかった。(略)論理の陣営から直観の陣営へと走ったわけではない。それまでは認識していなかった、というより気がつきもしなかったさまざまの事実がわかるようになったと言いたいのだ。無知には論理もへちまもない。


しかしまあ、なんと言ってもこの小説で好きなのは、きちんとしてて頼もしいこの主人公ではなくて、彼女の女友だちのリディアって人。リディアはいちおう小説家なんだけどスランプに陥っていて、ときにひがみっぽいことを言ったりする。
「わたし、小説じゃなくて、研究書が書けたらいいと思うわ。うすぎたない大きな蜘蛛みたいに自分の中からむりやり糸を引っぱり出すようなまねなんかやめにしたいわよ。エリザベス朝詩人のことでも書けたらいいと思うわ」
「誰も書くなとは言ってないわよ」とわたし(注:この[わたし]はもちろん主人公ロザマンド)が言うと、彼女は大きな溜息をついて、指先を食いちぎりそうに噛んだ。
「ああ、そこなのよ、わたしにはあなたみたいな教養がないもの」

「私は賢いし強いし、大丈夫、やっていける」という自信のもとに、ひとりでも子どもを産み育てる決心をするロザマンドに対して、妊娠中の彼女の家に転がり込んで来た失業中のリディアは、なんだか弱気になっている。「昔は徹底した悪(わる)が好きだった」けどこのごろは興味がなくなった、「上品でおとなしい、いい男の子がいないかなあ、私がうまくやっていけるのは、ほんとうはああいう人なのよ」とか言ったりね。
だけど、この2人の共同生活や家事の分担はとてもうまくいく。だってリディアは「おもしろい人柄」なのだから。

だけれどこのしょうもないリディア、あろうことかロザマンドの未婚の妊娠の経緯をひそかにちゃっかり小説のネタにしていて、その原稿をロザマンドに見つかってしまう。こういうのはたいがい勝手にモデルにされた本人からすると腹立たしいものだったりするんだけど(『Lの世界』のジェニーが書いた小説みたいにさ)、原稿を読んだロザマンドは最初は怒るものの、そこに描かれた自分たちの関係のとらえ方を読んでとても明るい気分になる。

肝心の出産の日にたまたまパーティに出かけていたリディアは、陣痛がきたロザマンドが救急車に乗ろうとしたちょうどそのとき、ご機嫌で帰宅する。ちなみにそのいでたちは「奇妙なデザインのグリーンの長いドレス」の上に「ふだんのグレイのレインコート」をひっかけて(ほかにコートがなかったから)、髪が下にたれさがっているばかりか「片方の頬には一面に口紅をぬりたくっている」。 この場面は本当に最高。事情がわかるとロザマンドを「両腕に抱きかかえて何度もキスしたあげくエレベーターの下までついてきて」、その間もパーティのことや、そこでロザマンドの元恋人に会ったことを喋りまくるので、ロザマンドも救急車の人も黙りこくって聞いてるしかない。救急車の人はリディアに病院までついてくるように言うけれど、ロザマンドはあわてて断る。
自分のお産の光景が逐一彼女の職業的好奇心にさらされかねないとと思うと、ぞっとしたのだ。もしどんなものかをほんとうに知りたければ、彼女が自分で赤ん坊を生めばいい、とわたしは思った。彼女は歩道で別れの手を振って、救急車が動き出すと、うしろから大声で、元気でね、と叫んだ。だらしなく着くずれた変な衣裳姿の彼女は、いかにも奇妙でかわいらしく見えた。

いいねいいねかわいいね!!
しかしつくづく、誰かのこういう気軽で気のいい女友だちのひとり、って立場でいられるなら一生楽しいだろうなと思いますが、現実では私たちの演じる役割がそれだけってこともありえなくて、もっと重要な脇役(助演女優賞にノミネートされるぐらい)を演じたり、自分メインのストーリーも進めていかなきゃいけないし、悩ましいことですね、皆さんいかがですか。

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