2010/04/15

ダイアモンドは傷つかない


これから出る本
Beth Ditto + Michelle Tea,  Coal to Diamonds: A Memoir
Spiegel & Grau 2010年9月刊行予定

べス・ディットーがミシェル・ティーと共同でメモワールを書く。すごい。わたしとチームメイトでやっているキャシージンではそれぞれ別に特集したことがあるくらい思い入れのあるふたりだ。どういう形の共著なのか、序文をティーが書いているのか、聞き語りなのか、もっと違うコラボレーションなのかはわかりませんが、とにかく期待しています。雑誌『ビリーバー』で読んだティーの「べス・ディットーとパリコレ」紀行も、ものすごくよかった。

べスの人生が振り返られるということでは、オリンピア、そしてポートランドに移り住んでからバンドが現在のスターダムにのし上がるまでの話も、さぞおもしろかろう。イギリスを中心にヨーロッパでのファッション・セレブ的な人気と、アメリカでの認知度の温度差(今はもはやそんなこともないのかもしれないけど)も興味深い。でも私はやはり南部(アーカンソー州)出身のべスの、クィア・フェミニスト・ティーン時代の話がミシェル・ティーによってどんなふうに引き出され、語られるか非常に興味があるの。

ティーの『ヴァレンシア』の中にも、ジョージア州出身のガールフレンドの実家について行ったときのこと(ティーの言葉では「文化人類学的リサーチ」)がまる一章分書かれている。小学生の女の子に「同性愛者、自殺しろ!」と叫ばれて、もはや「失せろ!」とか「死ね!」ではない「具体的な」罵倒(つまり周囲の大人の話からゲイ=自殺する人と思っている)に度胆を抜かれたり。彼女の幼馴染みの男の子の家の、壁に猟銃やら武器がたくさん飾ってある部屋でドラッグをやったり、その隣の部屋ではその子のお父さんもキマッってぶっ倒れていびきをかいていたり。「この町でいちばんブッチ」と呼ばれてモテモテのダイクはビリー・アイドルのような格好で真っ赤な口紅をつけていたり。ティーにとっての驚きの体験がいろいろ書かれている。なんかあるなと思う、それはもちろん。

カーソン・マッカラーズ(ジョージア州出身)について、友だちのキム(テネシー州出身)と話しているとき、南部の町での青春時代について聞くと、ハーモニー・コリン(テネシー州出身)の映画はリアルすぎる、ほぼあのまんまだと言っていた。ああ、そんなことってあるだろうか。 わたしたちはやっぱりどこかで寓話だと思って呆気にとられたり涙ぐんだりしていたように思うけど。まあ、そんなこといって「そんなわけねえだろ!!」って怒る南部出身の人はたくさんいるだろうけど、いやいやしかも「南部」って広いし、ってね。↑ハーモニー・コリンの新作『トラッシュ・ハンパーズ』はイメージフォーラム・フェスティバルで上映されますね。破壊の創造性、って言うのは簡単だけどこんなのできねんだ普通はさ。

余談につぐ余談ですが、この間ゴシップが来日したとき珍しく三人揃ってワイドショー番組のインタビューに答えているのを目撃してしまった。べスはいつも通りやかましくてキュートなイロモノ、ハナも意外にかわいいスマイルでそれほど違和感なしなんだけど、さすがにネイサンには「ちょ・やだやだ、やめて、そんなとこに出なくていいのよ」って焦っちゃったよ。なんて言ってもネイサン・ハウドシェルは「2006年キャシージンが選ぶ最もセクシーな男」(キャシージン1号参照)なんだから、セクシーなつぶやき声で(単に声がちっちゃい)スタジオのテリー伊藤に「テリサーン」とか呼びかけてるの見たらなんか色々な意味で恥ずかしくなっちゃったよ。

昔ネイサンのブログで、実家に帰ったときにお父さんの銃を握った両手をクロスさせてポーズしている写真を見たときの軽い衝撃を思い出す。燃え上がるようなボサボサの髪にキャップをかぶった赤い顔のお父さんと、ダークなアートの香りあふれる息子。この人もアーカンソー出身なんだやっぱりと、知っていたけど改めて思っちゃった。



ザ・ゴシップ。左の写真から右の写真まではアッという間だった気がする、まあその前がそれなりに長いけど。でもなぜか彼女たちはどんなに有名になって大きな会場でライブやってチケット代が高くても、ベスがパリ・コレの常連になっても、セルアウトだとは感じないのである。そんな話じゃ全然ないの。もっとやれー、燃えろ、揺るがせ、破壊せよ!!って思う。






まあまったく100%関係ないけど

キライじゃないの。

2010/04/11

カバー集・『心は孤独な狩人』


カーソン・マッカラーズが23歳のとき『心は孤独な狩人』でデビューしたのは1940年6月4日です。
だから今年2010年はちょうど70周年。


1.Carson McCullers, The Heart is a Lonely Hunter





すぐ上のふたつは、左:1940年にホートン・ミフリン社から出版された初版の表紙、右:その表紙を模して作られたオランピア・ル・タンのバッグ。この文学作品シリーズのバッグは他にもたくさん種類がある(見てここ!)。去年の秋発表されてパリのコレットとかで販売されていて、今年の初め日本にも入って来るっていうのでワクワクしていたの。で、たまたま雑誌に載っているのを見ましたところ、こういう物の値段よくわからないけどべらぼうに高いというか、買ったら胸が痛んじゃうくらい値が張っていた。ちっちゃなバッグに十万円以上だなんてそんな贅沢はこの本の内容に合っているでしょうか、いえ、いませんね。でもぜんぶ手刺繍らしいからしかたない、それが手仕事へのリスペクトというものだ。この場合は、所有できないからって恨むのは不幸の元になりそうだからもういいのよ。実物は見てみたかったけど。

そしてちょうどそんな今年の初め、友だちのキムがアメリカに帰ってたときに手に入れて取っておいてくれたこれ↓をくれた

刑務所の人に本を送るボランティアをしていたんだけど、古くてボロボロでもらい手もいなくて絶対にダーティが喜ぶと思って日本まで持ってきたよーと言っていた。ほんとうにありがとう、嬉しい。それになんてかっこいい表紙なんだろ、鳥とハートと鎖とこぶし。タトゥーにしようかと思う。


2.うらやましい情報

中国ではマッカラーズの長編全5作品の翻訳がセットで出ているのを昨日発見した。

中国語でカーソン・マッカラーズは卡森·麦卡勒斯。
日本語でも復刊でも新訳でもなんでも出て来ていただきたい、街角の本屋で普通にマッカラーズを見たい。


3.表紙になったマッカラーズ




すぐ上のふたつは、左:マッカラーズが『黄金の眼に映るもの』(Reflections in a Golden Eye)を捧げたアンネマリー・クララック・シュヴァルツェンバックとの関係を書いたらしい本。これを読みたいがためにドイツ語を勉強し直す、今年は。右:マッカラーズが一時住んでいたブルックリン・ハイツにあった家についての本。W.H.オーデン、ベンジャミン・ブリテン、ジプシー・ローズ・リー、ポール・ボウルズ、ジェーン・ボウルズ、あとクリストファー・イシャウッドなども同時期に住んでいたと言われている。

4. おまけ
マッカラーズの故郷コロンバス州立大学(ジョージア州)のカーソン・マッカラーズセンターのウェブサイトによると、来年の2月に生誕94周年を祝ってでっかい(たぶん)学会が開かれる模様です。

2010/04/04

フィメール・トラブルのほうへ(後編)


(前編から続く)
思い出した本、それは昨年読んだ中で抜きん出て最も印象的な読書体験だった『レッド・パーツ』のことだ。奇しくもラ・ビアンカ事件と同じ1969年にミシガン州で起きた、若い女性の連続殺害事件の被害者を叔母に持つ詩人、マギー・ネルソンのメモワール。Maggie Nelson, The Red Parts: A Memoir
Free Press   2007年
自分が生まれるずっと前に起きた叔母(お母さんの妹)の殺害事件の容疑者が35年を経てDNA鑑定で見つかり、母や祖父と共に遺族として裁判に出席する日々の記録と、叔母のジェーンが生前に書いていた冒険心と希望に満ちた若い娘としての日記、それに書き手ネルソン自身の生い立ち、両親の離婚、若い頃は手のつけられない不良で何度も施設に送られた姉とのこと、別居していた父の謎の死、詩人/研究者としての自分のキャリアや苦悩、大恋愛や別れ、などが彼女にしかできないやり方で、しっかりと織り合わされている。

広い世界に飛び出したいという若い女の子の野心と、言葉では言い尽くせない恐れや不安。外の世界にも自分の中にもある、暗くて深い闇。それに加えてこの作品は、むごたらしい犯罪に巻き込まれた被害者遺族にも当然ある「日常」を描いている点でも興味深い。…って冷静に書いちゃったけど、去年の夏この本読んでた喫茶店でもう感情が揺れ動きすぎてコーヒーひっくり返して全部こぼしてお店の方すみませんでした、隣の席の方親切にありがとう。なぜそこまでかって、同じように母と妹と叔母がいる私ですが、普段は復讐や報復という考え方を絶対にしたくない、でも妹がもし万が一ひどい目にあったりしたらと想像するだけで、相手を殺しかねないと思うほど頭に血が上ってワナワナしてしまい、同時に考えただけで恐ろしさと無力さで体がヘナヘナしてくる。
↓の引用は裁判所のスクリーンに映し出された叔母(ジェーン)の遺体の写真を見ながら検視官の詳細な説明を聞いたときのこと。作者と姉は当然ジェーンには一度も会ったことはないが、ショックのあまり泣いてしまう。自分たちの知る限りいつも冷静でたくましい母は、がっくりと肩を落としてひたすらぶるぶる震えていた。

私と姉のエミリーは休憩時間にトイレに行った。エミリーはさっき、母の方を見ることすらできなかったと言う。あんなに苦しんでいる母を見るのは耐えられなかった、と。私は彼女に賛成しながらも、自分の中にある褒められたものではないもう一つの母への感情を打ち明けられずにいた。私は母に対して怒りを感じてもいたのだ。私たちの母には、あの詳細な説明を動じずに胸を張って聞いていてほしかった。検視官の言葉に打ちのめされ、少女のように小さくなってしまう母の姿など見たくなかった。顔を背けたり、震えたりしてほしくなかった。しかしそこで、私の美しい姉が手を洗って乾かし、口紅を塗り直すのを見ながら、さっき眺めていたスクリーンに大写しになっていた写真がジェーンではなく彼女だったとしたら、自分はどう感じただろうかと想像した。考えただけですぐに罪の意識に襲われ、わけがわからなくなり、だんだんと吐き気がしてきた。ジェーンという人は、母の妹だったのだ。私は何を考えていたのだろう?

(↑マギー・ネルソン。同じ題材を取り上げた詩集 Jane: A Murder は、アイリーン・マイルズに"A deep, dark, female masterpiece"と評された)

そしてこの本を何度読み返してもやっぱりブルっと来てしまうくらい感動的(ていうのもちょっと違うけどほかに言葉が見つかんない)なのは、私にとって恐ろしいくらいに馴染み深いある感覚がこの本を覆っているから。

16歳のときオーストラリアの全寮制の学校に留学していて、学校の敷地内にも野っ原やちょっとした林や丘があるくらい広かった。そんなところまで行く生徒は隠れてタバコを吸ってる子くらいなもので、敷地の外れを夕方ひとりでぶらついていても誰にも会わない。あるとき原っぱの真ん中あたりに2メートル四方くらいの膝くらいの深さの穴というかへこんだ場所を見つけて、それ以来ときどき日が沈むくらいの時間になるとそこに入って座っていた。そうしていると不思議と何も感じなくて、つまり背中にあたる土の壁とかお尻の下のつぶれた草とかは感じるんだけど、自分は日本からここに来ているとか、まだ言葉が通じなくていつもおミソ状態で小さい子になった気分だとか、ホームシックとか、その時の日常ではいつも頭や心を占めている意識や感情はまったく忘れ去られて、ただ生きてそこに座っている、ということだけが強く感じられたのだ。そういう感覚。

四国の島をひとりで旅したときに、大きくうねって海岸まで続く、ときどき通り過ぎる車のライト以外には灯りも無い広い坂道を夜、自転車でゆっくり下っていったときのあの感覚。

この間の深夜2時くらいに六本木から渋谷に向かって歩いていたときに、途中トンネルのようなものの中に入って進んでいるときにも同じような感じを味わった。

奇妙に世の中から切り離されていて、もし死ぬってことがこういうふうに忘れ去れらている感じがずっと続くうようものなら怖くないし悪くもないなあ、という思いと、でもそう感じている私は生きてるんだなあ、そうだ!私、いま、生・き・て・る! みたいな思いがまじりあった静かな高揚感とでも言ったらいいのだろうか。こういう感じはときにふと訪れて長く長く心に残る。

こういう感覚そのものは男の人(男の人としてパスする人)にもあると思うけど、「女の子がそんな寂しいところを一人でほっつき歩いて何があっても知りませんよ」という残酷なことを言われ続けて育つと、そういうことをすること自体になんとなく恐ろしい匂い死の香り、それへの抵抗として「いいえ、私は強くて自由なので絶対にこんなところで死にません」という毛穴のぞわっとするような気合を感じている気もすんの、どことなく。

この本の中でこの感じがはっきり書かれている部分。これはネルソンが昔の恋人と会って帰るところ。

 もちろん元恋人は私を送ってくれなかった。代わりに私は酔っ払ってさまよい歩いた。メインストリートから電車の線路まで行き、その横に寝転んで世界の静寂さに耳を傾ける。仰向けのまま煙草を吸って背中に地面を感じ、夜の闇に生きるものたちの一部になった。
 思い出しうる限りずっと、私はそんなふうに感じるのが好きだった。街なかにひとりぼっちでいたり、夜に外をうろつき回ったり、地面に横になったりして、名前もなければ誰の目にも留まらない存在になって漂っているのが。群集の一部になりながら、反対に自然や自分なりの「神」とひとりきりで向き合う。公共の空間の中で、自分の意識は研ぎ澄まされながらも、同時にその大きさの中に溶けて失われていくような感覚。完全に空っぽな状態で、でもまだ生きている。それはまるで死に備えた練習のようだ。
 女性に何も感じさせまいとする試みは、驚くほど様々な時代や場所で行われてきた。そして、未だに行われている。女が一人で夜に出歩いたりすればひどい結果を招く、とあまりにしつこく教え込まれすぎて、自分がそうしているのは勇ましく自由な気分だからなのか、愚かで自暴自棄になっているからなのか知ることさえ不可能なのだ。けれどときに死の練習は、ただ純粋に死の練習そのものでしかない。

この感じに近い気分が驚くほどよく描かれているものに、『パリ・ジュテーム』というオムニバス映画の中に入っている短編で、アメリカ人の中年女性(いわゆるおばちゃんて感じの)が一人でパリを旅行する話がある。監督が『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!』の人でびっくりしたけどさ。あとちょっと違うけどエリック・ロメールの映画でときどき見かけるシーンに、自然の中で女の子が唐突に(あるいは風が吹いて木の葉が揺れたくらいのきっかけで)涙を流す、というのがあるけど、それにも近いものが含まれている気がする。多くの人がゼロ年代最高という『殺人の追憶』、私だってずっと鳥肌立ちっぱなしで興奮して見ていたのですが、映画の凄さと関係ない(あるかな)ところで「死ぬな死ぬな生きろ襲われるな!」ってずっと思ってしまったよ、なんか悔しかったの。


さて話がウォーターズの新刊から私の勝手な方向に進んできましたが、とにかく一冊の本としてはどんなものになるのかとても楽しみ。ちなみに偶然にもウォーターズの映画のタイトルが店名の古着屋さんで買った、悲しげな顔の子猫の写真(イラストじゃないの、写真なのよ!)がたくさん映し出された不気味エレガントなスカーフ(↓これ)にアイロンをかけながら、抜粋をまだ読んでいないミャーザキ君に後から説明しようとしたときも、再び泣きそうになって声が震えてしまったので、あの号泣はやはり単なるPMSのなせる業ではなかったのよ。
(↑写真で見るとペッカペカだけど本当は結構いい)

2010/04/03

フィメール・トラブルのほうへ(前編)


もしかしたらツイッターとかでは100年前に話題になってすでに忘れられてるのかもしれないけど、私の中では日々じわじわと熱をあげているホット・トピック、それはジョン・ウォーターズの新刊から始まる。
John Waters,  Role Models
Farrar, Straus and Giroux   2010年5月25日発売予定

紹介文によると、ウォーターズがお気に入りの人物について書くことで浮かび上がるセルフ・ポートレイトとのことで、一筋縄ではいかない有名無名の人々が取り上げられているようです。それを知っても、そうか本出るのかくらいにしか思っていなかったの、でもネット上で読める(ここ)一章分の抜粋を読んだら、まさかまさかの大号泣であった。

この章では、1969年のラ・ビアンカ夫妻殺害の罪で服役中の元マンソン・ガール、レスリー・ヴァン・ホーテンとウォーターズの長きにわたる友情が描かれている。ドラッグ漬け、でマンソンに洗脳されていた19歳のときに犯した取り返しのつかない罪のために40年以上服役しているレスリーは、全力で罪を償おうとする模範囚であるため、これまで釈放のチャンスがなかったわけではない。しかし事件の衝撃はあまりに強く、未だに影響も大きいために結局は却下されている。

で、ウォーターズは実は自分も罪の意識を感じている、と告白する。「自分の初期の映画でマンソン・ファミリーの起こした事件をジョークふうに、気取ったやり方で使ったという意味では私も有罪だ。被害者の家族への配慮もなく、この悲しく残忍な事件にあってはやはり被害者だったとも言える、洗脳されきった加害者の若者たちのことなどまったく考えもしなかった」。おそらくレスリーとの友情関係の中でこういうふうに考えるに至ったということなんだろうけど、この先に続く文章の中で胸を打たれるのは、こういう人の痛みや苦しみに接して発揮される、ウォーターズのユニークな想像力だ。

例えば冒頭に近いこの部分↓を読むと泣けるしちょっと笑えるし、何よりもなぜウォーターズがレスリーに思い入れ、痛み入るのか納得できる。自分にもLSDで友情をさらに固くして「セルロイド・マッドネス」一直線に進んでいった「ファミリー」(ドリームランダーズね)がいたからこそ、レスリーの過去が無念でしょうがないんだと思うの。

レスリー・ヴァン・ホーテンを見ているといつも、彼女は殺し屋の一団とオープンカーに乗リこむ代わりに、私たちと映画を作ることだってできたんじゃないかという気がするのだった。美人で、ぶっ飛んでいて、反抗的で、大胆なファッションに趣味のいい髪型、それにLSDが好きなところ-私の映画に出てくる女の子たちそのもの。マンソンの元で「優秀な兵隊」としてレノとローズマリーのラ・ビアンカ夫妻の殺害に加わるよりも(当時の彼女はそれこそが正しい行動だと信じこまされていたに違いないが)、私たちと一緒にボルチモアにいて、ディヴァインが犬の糞を本当に食べた日(私たちにとってのテイト/ラ・ビアンカ事件)の『ピンク・フラミンゴ』のロケに参加していたならよかったのに。彼女はきっと、映画の中で反社会的にふるまう歓びやアナーキーな映画作りというものを楽しんだことだろう、少なくともビートルズが自分に直接話しかけていると信じきっていた誇大妄想狂の犯罪者が計画した「へルタースケルター」という名の間違った人種闘争と同じくらいには。レスリーがマンソンではなく私に出会っていたら、今ごろはカリフォルニア女子刑務所の代わりにカンヌ映画祭に行っていたかもしれないのに。というより、もしマンソンにも私にも会っていなければ、ロスの映画業界にでもいて、一流のスタジオの重役くらいにはなっていたのかもしれない。

(↑レスリー・ヴァン・ホーテン。写真はドリームランド・ニュースより)
そういえばクッキー・ミューラーもエッセイ集の中で、60年代後半にサンフランシスコでぶらぶらしていたら女の子たちに誘われて遊んで、「もう少ししたらチャーリーが帰ってくるから会っていったら?」って言われたけど来ないから待たなかったけど、あとから思うとあれはマンソンのことだった、って書いていた(うろ覚え)。会ったとしてもクッキーは洗脳されたりするだろうか、私の勝手なイメージではそれは考え難いよ。でも逆にまかり間違って一団に加わってしまったとしたら、クッキーのエッセイの中でよく起こる例のありえないまでのドタバタでことごとく計画を台無しにしそうなので、凶悪犯罪は起きなかったかもしれません。奇跡の人っていうのはクッキーのことだからさ。歴史とは数奇なものである。(やっぱり勝手なこと言ってしまった)

それにしても、レスリー・ヴァン・ホーテンがウォーターズや周辺の人たちと青春時代の多くを共有していたことは事実のようで、刑務所で『ヘア・スプレー』を観た彼女は「最高」と手紙を書き送ってきたらしい。「私もパブリック・ダンスとかそういう類のものに夢中になっていた時期があったの、アナハイムのハーモニー・ボールルームに行くためだけに生きていたわ。靴を選ぶ基準は木の床の上でどのくらいよく滑るか、だったほど。わかるでしょう、私の人生そのものだったのよ!」ウォーターズが「マッシュ・ポテト(ダンスのステップの名前)から(マンソンの)モンスター・マッシュへ」と呼ぶ、この転落。岡崎京子の『へルタースケルター』(おお!)の帯に書いてあった「一人の、女の子の、堕ち方」て感じだ、私この漫画を読んでいないけどずばりフィメール・トラブル的な話なのかな?

ゴロゴロゴロッと落っこちて行ってしまった、そしてどんなに後悔しても反省してもそれがなかったことには絶対にならない、それでも人生は続くレスリーに同情してはいても、この文章の中のウォーターズはレスリーのしてしまったことには被害者がいて、今日も苦しんでいるということを忘れていないし、彼の想像力はそちらのほうにも必ず及んでいく。

例えば自分とレスリーのお互いのお母さんの話をしているところ。最初は実家に送られてきたレスリーからの手紙を見て「なぜマンソン・ファミリーにうちの住所を知られなくちゃいけないの?」と言っていたウォーターズのお母さんも時がたつと「レスリー」と刺しゅうされた枕を送ってくれるようになり、刑の軽減を望むレスリーにとって、ウォーターズと知り合いであることが彼女の世間での評判を落とすことになるのではないかと心配していた(ほんとに悪い印象なんですね)彼女の母親も『I Love ペッカー』を観に来てくれるまでになった。だんだんと年をとり健康上の問題を抱えるようになったお互いの母親を思いやりながら、「親が十分長生きしてくれて本当にラッキーだった」と共感し合うふたり。「おかげでお互いに、悪名高き過去にもかかわらず、時間をかけて親との関係を取り戻すことができた」から。そして↓このように当然の流れで被害者の遺族へと思いがはせられる。


しかし、もちろん、ラ・ビアンカ家の子どもたちにはそんな母親が存在しなかったこと、その責任の一部は私の友人レスリーにあることはよくわかっている。レスリー自身が、そして彼女の支援者たちがどんなに辛抱強く待とうとも、この恐ろしい事実が変わることは決してない。(略)
 証言をする遺族の姿をテレビ画面で見ながら、あんなところにいなくてはいけないのは彼らにとってもどれだけ苦痛だろう、と考え続けずにはいられなかった。このために仕事を休まなければいけない。刑務所まで車で出向かなければいけないし、ガソリン代も払わなければならない。写真を撮られるとわかっているから、ふさわしい洋服も買いに行く。悲劇を何とか受け入れようとする彼らにとって、たびたびそういうことをしなければいけないのは、どれほどつらい試練であろうか。ラ・ビアンカ家の親類のひとりは証言している。「私たちのプライバシーは損なわれ、人には知られることのない絶望やストレス、不安や経済的なダメージに苦しみました。」


ウォーターズの想像力が被害者遺族のガソリン代やおそらくこの世でもっとも楽しくない洋服のショッピングのことに及んでいく部分を読んだり、それに上で書いたようなトラブルサムなフィメールのライフについて考えていて、違う本のことを強く思い出した。

それは、(後編に続く)